2016年07月16日

言葉は言い様 姿は見せ様

facebookやblogを書いていていつも思うことは、
何を書こうか? 以上に、それをどう表現しようか? 
ということ。
つまり私の場合、書く内容以上に言い方が気になって仕方がありません。

硬い内容、悲しい内容、過激な内容を
ストレートに表現してしまうと、
それを受けた読み手は引いてしまいがちになる。

出来るだけ、そうだよなぁ。
と思って頂けるように、少しでも配慮したい。
もちろん、それは他人のためというより、
自分の満足のため、と言った方が正しいのだろうけれども。

(田中優氏は「facebookは自分を写す鏡」と言っている。)


先日の参院選挙静岡選挙区の大嶽創太郎氏のポスターを見たとき、
なんでこんなに苦虫をかみつぶした顔を載せるのだろう? と思った。

当たり前だけれど、他の4人の候補者は押しなべて皆、元気はつらつの表情。
キャッチコピーも、「声を力に」など前向きムード。

しかし、彼の場合は、その困惑した表情のとなりに、
「選挙へいこう。 うそつきばかりだ。」 となっている。

自分の名前やコピーの字も小さく、悲壮感漂う顔の、
このポスターに賛否両論。
でも、私は若い女性たちが立ち止まって見ていくこのポスターに
底知れない負の迫力を感じた。

正しく世の中を見つめれば、彼の表情こそふさわしい。
そして、鈍感な大人が気づかないうちに、
センスある若者たちは、彼の放ったそのメッセージを敏感にキャッチした。

自分を表現するとき、その内容と同等ににその言い方、見せ方が大切なんだ。


  

Posted by kittsan at 10:02Comments(0)社会の事

2016年07月15日

石川啄木 夏のうた

先日の茶会で、待合にあった掛け軸。
 
 ほとばしる喞筒の水の
 心地よさよ
 しばしは若きこころもて見る   啄木


うざったい歌ばかりだと思っていたら、
こんなさわやかな夏のうたがありました。
やっぱり啄木は天才です。
好きだ。
 
(喞筒はポンプと読むそうです。)




因みに本席では写真を撮らなかったのですが、

 いのちなき砂のかなしさよ
 さらさらと
 握れば指の間より落つ   啄木


でした。
こちらも深い歌ですよね。  
タグ :石川啄木


Posted by kittsan at 08:15Comments(0)季節の事

2016年07月12日

54,412票!

初めに組織ありきじゃなくって、
初めに有名人だからじゃなくって。
何よりも熱い思いがあって、
迷いながらも一歩行動を起こして。
無視され恥をかきながらも、
選挙が終わるまでは続けなければと心に決めて。
その姿を見た友達が、
面倒くさいと思いながらも彼の行動に心動かされて。
そういう姿を見た他人が、そのことに気付いて。
ポスターが増えて、街頭演説会が元気になって・・・・・。

ナント! 54,412票を獲得しました。
大嶽創太郎さん、見事です。






朝日新聞静岡版の選挙分析によると、
無党派層の10%、10人に1人は、大嶽氏に投票したそうです。
私も、静岡選挙区は無風のようなので、彼に注目するようになったのですが。

街頭演説会のとき、彼は、
「投票に行ってください。
期日前投票は前回の1.7倍、
50%が60%になったら世の中変わります。」
と、言っていた。
自信がないのか、自分に投票してください、と言ったのは最後の方。(笑)

そして、尋ねられた政策に無回答な誰かさんと違って、
ママの会という団体の質問に、一つ一つ丁寧に答えていました。

こういう人が地元で立候補してくれて、
今回の選挙、私は充分楽しめました。  


Posted by kittsan at 11:44Comments(0)社会の事

2016年07月11日

気品に満ちた普通の人々/映画「山河ノスタルジア」

大好きな中国の監督、ジャ・ジャンクー氏。
その新作を見てきた。

中国映画「山河ノスタルジア」

衝撃的な事件や映像で私を夢中にさせた前作「罪のてざわり」から打って変わって、
中国で生きる庶民を静かなメロドラマタッチで描いた新作「山河ノスタルジア」

男と女、友達と恋人、親と子など、どこにでもいる人々の心の動きを、
過去(スタンダードサイズ)・現在(ビスタサイズ)・未来(シネマスコープ)
と3つのエピソードを映画画面を違えて描いている。




1999年 山西省・汾陽<フェンヤン>。
小学校教師のタオは、炭鉱で働くリャンズーと実業家のジンシェンの、
二人の幼なじみから想いを寄せられていた。
やがてタオはジンシェンからのプロポーズを受け、息子・ダオラーを授かる。

2014年 タオはジンシェンと離婚し、一人汾陽で暮らしていた。
ある日突然、タオを襲う父親の死。
葬儀に出席するため、タオは離れて暮らすダオラーと再会する。
タオは、彼がジンシェンと共にオーストラリアに移住することを知ることになる。

2025年 オーストラリア。
19歳のダオラーは長い海外生活で中国語が話せなくなっていた。
父親と確執がうまれ自らのアイデンティティを見失うなか、
中国語教師ミアとの出会いを機に、かすかに記憶する母親の面影を探しはじめる―。

躍動するダンスシーンに象徴されるように、3人の友人関係から、
一対一の恋愛関係変わっていき、お互いのエゴがむき出しになる青年時代。
自分の親と自分の子。その上下の関係に心が移っていく中年時代。
そして、異郷の地で子は親を思い、親はすべての過去を思いめぐらす壮年時代。

この監督の市井の人々を見つめるまなざしのなんとキメの細かいことか。
そして俳優たちもそれに答え、自然で控えめな人物たちを演じ、深い共感を与えてくれる。
加えて、珍しい自然風俗描写と音楽が私たちをその時代その場所へいざなっていく。

もう、素晴らしいの一言。
やさしさと気品と、ほどよい異国感を持ったこの映画に包まれて、
極上の時間を過ごすことが出来た。

<静岡シネギャラリーで7月9日(土)~22日(金)>


  


Posted by kittsan at 09:10Comments(0)映画の事

2016年07月09日

自分の子供が選挙に出たなら・・・。

明日はいよいよ参議院議員選挙投票日。
序盤戦からここへ来て、私の関心事が大分変わってきた。

先週末、娘たちが帰省して選挙の話になった。
東京では例の、三宅洋平氏が大フィーバーしているらしい。
私たち家族は時々政治的なことも話題になり、選挙に興味がないことはなく、
たぶん皆選挙に行かなかったこともないと思う。

そんなことを私のfacebookに書き、候補者の看板の写真を載せたら、
ある知り合いから、「静岡選挙区5人の内、ポスターがない人がいる。
ポスターを出さないのも戦術?」とコメントを頂いた。

それまで、その人(大嶽創太郎氏)については近所にもポスターがなく、全く無関心だった。
ところがある日、県庁の前を通ったら、彼のポスターがあった。
それも、他の候補者とぜ~んぜんタッチの違った、あか抜けたセンスのポスター。
へ~?と思ったことと、知人のコメントがドッキング。
それからネットなどで、大嶽氏のことを調べ始めた。


大嶽創太郎氏 33歳 無所属
 元モデル、現ジャーナリスト
 安保法反対、改憲阻止など、どちらかというと野党的考え。
 バンドを使用したトークで街頭演説をしている。
 なんか、三宅洋平氏のシズオカ盤のような気もする。

彼のblogを覗いたら、とても素晴らしいことが書いてあった。
その理由 (参院選 静岡 無職属 立候補 について)
http://ameblo.jp/sotarobta/entry-12178142060.html


>僕は文章を書くことが大好きです。
>文章を自分の頭で思考し言葉や表現に迷いながら言語化していく
>その時間を愛していると言っても過言ではありません。

>僕が書いた文章と貴方との間には適度な距離があって
>僕は貴方に問いかけることができる。
>また笑わせたり怒らせたり時にひどく傷つける事もできる。
>文章=言葉、文字には魔法のような力が宿っています。

>人の感情に訴え届かせる。これは表現の枠組みを超えて
>モノづくりする人に(アーティストや文筆家に)許された特権です。

>毒にもならない文章はつまらない。ペンは武器よりも強い。
>文章には色々な特性がありますし、僕は jornalist ですが
>何よりそれ以前に”物書き”であるー言葉の魅力に魅了された一人の男です。
>はいこれが僕の立ち位置です。


これって、私がblogを始めてから思っていることと全く同じ。
ますます共感と興味の輪が広がっていった。
・・・・・と同時にこんなことも考えた。

① 政治に無関心→ 政治に関心あり
② 選挙に行かない→ 選挙に行く
③ そして、自分が選挙に立候補する。

成人ならほとんど可能なこれらのこと。
それでいて私たち庶民には不可能なこと、を
彼は(無謀にも・失礼!)やってしまっている。

私達が政治に参加するって、本当はこう言う事なのかも。
立候補して、金使って、恥かいて、皆に迷惑かけて・・・。
そんなことを繰り返して、初めて政治の世界が解るんじゃないかな。
そう考えれば投票なんてお気軽花火。
立候補した当人にとってはテポドン級の人生体験になるのでは・・・・・。




それからは実際の大嶽氏のホンモノの姿を見てみたくなった。
7月8日夕方、静岡駅北口で街頭演説会がある情報を得て直行。
トーク自体はどうってことなかったけれど、(ごめんなさい)
仲間数人で選挙の運営をしていること。
人手がなくてポスターが貼り切れないこと。
文章はこれからもず~と書き続けていきたいこと。
などなど、聞かせていただいた。

準備不足、人手不足、経験不足、情報不足・・・、
言いたいことはたくさんあったけれど、こういうことは若者だからこそ出来る。
自分の子供(彼と同世代)が選挙に出たいと言ったら、
私はどうするだろう?

そう思いながら、大嶽氏と握手し、ツーショットに納まって、
彼のポスターを近所に貼ることを約束しながら、
街頭演説会場をあとにした、というわけです。

  


Posted by kittsan at 10:30Comments(2)社会の事

2016年07月07日

遅れてきたポスター

県庁前を通ったとき、ふっと目についた。
我が家の近くの掲示板にはどこにも貼ってなかった。
最近になってやっと載った、遅れてきたポスター。




参議院議員静岡選挙区候補者 大獄創太郎氏

キャッチコピー 選挙へ行こう うそつきばかりだ
国民怒りの党代表 小林節氏 推薦
個人演説会 日時 空白

メディアでの動向 独自のたたかい




・・・・・
他の候補者にないセンスのポスターを見て
俄然興味が湧いてきた。
私がポスターの撮影の準備をしている間、
女子高校生が二人、若い女性がそれぞれ一人づつ
マジマジとこのポスターを見て行った。  

Posted by kittsan at 08:30Comments(0)社会の事

2016年07月05日

参議院選、必ず投票します。

もうすぐ参議院議員選挙投票日。
私達の家族の間ではテレビ、新聞、ネットなど、
様々な媒体から流れる選挙情報で食事時の話題が絶えない。




私は団塊の世代でリベラルな空気の中で育ったせいか
どちらかと言うと左寄り。
娘たちは地元選挙区では与党(保守)、比例区では野党(革新)
なんて、私には想像出来ない選択を考えている。
妻や母は私が口を酸っぱくして今の政権を批判するので、
その影響があるもしれないが、本心はわからない。

でもひとつ言える事は、みんな必ず投票に行くという事。
当たり前の事のように思えるけれど、
投票率が50数%の昨今では少しは自慢していいのかも知れない。
みんな、日本を良くして行くためには政治家集団よりもまず、
自分で考え、自分で行動する1個人のチカラが大事と思っている。

  

Posted by kittsan at 08:30Comments(0)社会の事

2015年12月29日

今年観た映画ベスト1&ワースト1

今年私が観た映画は目標の20本に至らず15本。
1月2月は寒さ鬱で見る気が起らず、
12月は多忙のため見る機会を逃しました。

さらに例年のように驚いたり心にしみた映画が3本なかったことも。
むしろ好んで観たにも関わらず、不快になった映画もあったのです。

素直に感動できなくなったのか、自分の感性が鈍くなったのか。
・・・で、今年は好みの映画1本と好まない映画1本を挙げてみました。


「おみおくりの作法」イギリス映画
「福々荘の福ちゃん」日本映画
「バードマン」アメリカ映画
「イミテーションゲーム」イギリス映画
「トイレのピエタ」日本映画
「セッション」アメリカ映画
「海街diary」日本映画
「マッドマックス・怒りのデスロード」アメリカ映画
「野火」日本映画
「ハーツエンドマインズ」アメリカ映画
「サンドラの週末」ベルギー映画
「バケモノの子」日本映画
「雪の轍」トルコ映画
「サイの季節」イラク映画
「さよなら人類」スウェーデン映画


好きな映画 ベスト1 アメリカ映画「バードマン」


  評判以上の面白さを感じたのはこの映画だけ。
  パンツ1枚で醜い裸体を人前にさらしたように、
  心の鎧も脱ぎ捨てざるを得なくなった時に
  訪れる安らかなひと時。
  それがたとえ飛べないバードマンの姿になっても。
  映像・音楽・人物・・・すべてが高感度でハイセンスな映画。


嫌いな映画 ワースト1 アメリカ映画「セッション」


  けっしてつまらない映画ではありません。
  むしろたいへん興奮した面白い映画。
  ただ、こうした最上志向・完璧主義は若者はともかく
  年取った指導者の場合、狂気や妄想にも見える。
  それをどう捉えるかで、好き嫌いに分かれそう。
  私には不快感が拭えなかった。

日本映画は「この国の空」「岸辺の旅」「みんないい子」など
評判の作品を見逃してしまいました。
また、今年のベスト1の呼び声高い「恋人たち」は静岡では来月公開。
橋口監督舞台挨拶先行上映のチケットを買い、心待ちにしています。  


Posted by kittsan at 17:46Comments(0)映画の事

2015年12月12日

印伝に魅せられて、アリアディフィレンツェへ

先日のイギリス旅行の折、
山梨の伝統工芸「印伝」の小銭入れを羽田の免税店で購入し、
イギリスの教授へのお土産にしたら、大変喜ばれました。

その「印傳屋さん」の山梨の本社へ、静岡県ユニバーサルデザインの
会員の皆さんと見学に出掛けました。

アリアディフィレンツェ


印傳屋さんは「アリアディフィレンツェ」(フィレンツェの香り)
という何ともオシャレな名前の工業団地の中にあります。

この工業団地、建築家「北川原温」氏による斬新な工場の建物群が、
豊かな緑の中に調和し、ファッショナブルな街が形作られていて、
来訪者を楽しませてくれます。

印伝の名前の由来は異国情緒漂う「印度伝来」という言葉から来ているとか。
その印傳屋さんは江戸時代から400年以上続く、革の加工屋さん。
鹿革に漆を型紙に通して刷り込み、様々な文様を加工する。

昔は鎧や兜に使われ、次第に革羽織、煙草入れ、巾着などから、
現代のハンドバック、財布、ポーチなど、装身具として
愛用されているそうです。




ガラス張りの作業工房を見せて頂きました。
漆の型押し工程と鹿革を煙であぶり出して模様を付ける
燻べ作業を、案内係りの方から丁寧な説明を聞きました。
完成までに2、3ヶ月から半年まで掛かる、全て手作業の世界。

人肌に近い鹿革独特の風合いに魅せられて、
印伝に虜になったリピーターは、独自の絵柄や技法を求めて、
その後オーダー品を注文するケースが多々あるそうです。

印伝の商品が並ぶショウルームで、
印伝の小銭入れを購入しようとしましたが、
ここでの販売はなく、製品番号を明記して下さり、
静岡の場合は「池田屋さん」でお求めくださいとのことでした。


(父の持っていた印伝のきんちゃく)


貴重な伝統工芸を今の時代にどう生かしていくか。
人々にその魅力を解って頂く為に、商品をどう紹介していくか。
案内嬢のどんな質問にも答える、簡潔で的確な解説の素晴らしさ。

アリアディフィレンツェにある「印傳屋さん」の本社は
そのヒントを幾つも教えてくれました。

  


Posted by kittsan at 10:18Comments(0)美術工芸の事

2015年09月12日

他人の痛みがわかるまで/映画「サンドラの週末」

この監督(ダンデンヌ兄弟)の映画はいつもそっけない。
えぇ? それで終わり?と思わせるラスト。
でも弱虫が少〜しだけ自分に自信を持てたときは、
こんなに風に他人の痛みも分わかった行動に出るのだろう。



病気で休職していたサンドラは上司から解雇を言い渡される。
彼女がいなくても充分仕事は進むし、彼女の給料分を他の従業員の
ボーナスに廻すよう社長が手配した。

サンドラは夫と友人の助けを借り、解雇を撤回するよう会社に直談判に行く。
社長の答えはそっけなく、サンドラかボーナスか?
月曜日に16人の従業員にどちらかを選ぶ選挙を行うよう促す。
彼女は諦めかけながらも、自分に入れてくれるよう同僚ひとりひとりと交渉していく。

訪問する家族の有り様はさまざま。
同僚の自分と同じ貧しい生活を知るにつけ、
彼女も強くお願いすることが出来ない。
それでも何人かはボーナスを貰うことよりも彼女の復帰に賛成する。

そして月曜日、選挙の当日になって・・・。
選挙の結果は賛成8、反対8の同数。
社長は彼女に好意的な提案をするが、
彼女はその時になって、身勝手な自分の立場を理解する。
その後、彼女の選んだ方法とは・・・・。


嘆き悲しんだり人のせいにすることより、自分ならどう解決出来るか考えるサンドラ。
どうしても納得出来ないことは正していこうとしていく。
と同時に自分には正しいことでも、他人には違うことに気付くようになる。
小市民が行動することで意識が変わり、自分を変えていく。
結果より、彼女が同僚を巡るさまざまな過程を映画は丹念に描く。
だから、このラストはしごく当然に思える。

(ベルギー映画「サンドラの週末」はシネギャラリーで9月18日(金)まで公開中)

  

Posted by kittsan at 15:43Comments(0)映画の事

2015年08月26日

能「橋弁慶」の謡、弁慶役を少しだけ。

先日の日曜日(8/23)。
静岡観世会の夏季素謡会に参加しました。
私の属している岡諷会の出し物「橋弁慶」で
恥ずかしながらも、後シテの弁慶を謡わせていただきました。



能「橋弁慶」は京都五条の橋の上で、
弁慶と義経(牛若丸)が戦い、弁慶が敗れて義経の家来になる
という、童謡にもなっている有名な話の場面を描いています。

「橋弁慶」の前半は、お供の者から
「夜な夜な五条の橋の上に少年が現れ、不思議な早業で
 人を斬り回るそうだから、今夜の物詣はおやめ下さい。」
と諭されるが、逆にむしろその妖怪を討ち取ってやろうと
弁慶が夜更けを待つ場面まで。

中入り後の後半部、牛若丸が現れる。
今宵は鞍馬山に身を潜めるため最後の五条の橋の上。
通る者を待っていると弁慶が長刀を持ってやって来る。

弁慶役の私が口を開く。

「すでにこの世も明け方の。
 三塔の鐘も杉間の雲の。
 光り輝く月の夜に。
 ・・・・・・・・・」


薄衣を身に纏った牛若丸を弁慶が女の姿と見間違えていると、
牛若丸が橋の上を通り過ぎ様に長刀の柄元を蹴り上げる。

「すは。痴れ者よ物見せんと。」

弁慶は長刀を取り直し切ってかかると、
牛若丸は右に左にひらりとかわし飛び上がり飛び下る。
弁慶が長刀を振り回しふたりは戦いを繰り返すが、
とうとう弁慶も詮方なく呆れて棒立ちになってしまう。

「不思議や御身誰なれば。まだ稚き姿にて。
 ・・・・・・・委しく名のりおわしませ。」
 「・・・・・・・我は源牛若。」
 「義朝の御子か。」
 「さて汝は。」
 「西塔の武蔵。弁慶なり。」
 「互いに名乗り合い、互いに名乗り合い。
 ・・・・・・・・・・・」


クライマックス。
牛若丸に降参した弁慶はこの素晴らしい少年に惚れ、
主従のちぎりを結び、家来となって九条の鞍馬へお供する。

「位も氏も健気さも。よき主なれば頼むなり。」
(地位も名前も、俊敏かつ勇敢な姿も主として申し分ない。)

ここに、私が大好きな地謡のセリフがあります。
因みに「健気」とは俊敏かつ勇敢な意味だそうです。

戦いのあとの潔い弁慶の態度。
試合のあとのフェアな状況が感じられて、とても気持ちのいい場面です。

弁慶や牛若にはほど遠い軟弱者の私ですが、
この時とばかり、腹の底から力を込めて謡いました。
  

Posted by kittsan at 08:55Comments(0)古典芸能の事

2015年07月28日

ウナギとかき氷で暑気払い

娘の誕生日に、はたまた暑気払いに、
ウナギとかき氷の組み合わせ(食い合わせ)?



母妻娘私と4人で1年ぶりの「鰻の満喜多」へ。
ここの、ふわっとした鰻の身の柔らかさと、口に残らないほどよいたれの品の良さ。
ゆば入り肝吸いと香の物も丁寧に調理されている。
高級料理になってしまい庶民には手がどかない鰻重。
来てから裁くので30分以上待たされるけれど、
1年に一度でいいから最上の鰻を食べたい。
そんな要望に今年も満喜多は応えてくれました。



満喜多の帰りに立ち寄った「やきいも末永」。
たこ焼きの「横山」なき後、庶民派駄菓子や風かき氷はここかな。
一点の曇りもない透明な氷を自動かき氷機でシャッシャッシャッ。
うす〜いピンクのイチゴシロップ(180円)
練乳ミルク入りの甘露ミルク(220円)
中にあずきが詰まった真っ白氷あずき(240円)

氷のざらつきが無く、口に入るとふわっと溶ける。
シロップも甘すぎず、こちらも口に残らない。
冷たすぎない氷をかくと綿のような氷が出来、頭にキーンとこないそうです。
妻も母も「到底全部は食べられない。」と言っていたのに、
美事に三カップ、カラになりました。

多くのお客はとれない、ウナギの名店「満喜多」と
短い期間のかき氷が地元で人気の、やきいも「末永」。
静岡の知る人ぞ知るところの、なくなって欲しくないお店です。
  

Posted by kittsan at 09:31Comments(0) 食物の事

2015年06月29日

ブルーグリーンの世界「青磁のいま」

今、静岡市美術館で開催中の「青磁のいま」展。

かつて中国皇帝が「雨過天青」と呼んで官窯や竜泉窯で盛んに製造された青磁。
神秘的な青磁の色には2種類の色があると言われています。
中国南宋時代の青みを帯びたいわゆる「砧青磁」と、
明時代に作られた緑がかった「天竜寺青磁」。
そのクールな表情と格調の高さに以前から憧れを抱いていて、
今回の展示会を楽しみにしていました。



もちろん国宝級の中国青磁も素晴らしいのですが、
今回はそれ以上に日本の近代現代の作家さん達による
革新的な技術や表現力に圧倒されました。

特に素地と釉薬の熱膨張の差で起こるという「貫入」の美事さ。
チリチリと音を立てながら深まっていったという二重貫入が、
まるでガラスの破片の様に層になって淡い瑠璃色の光を放つ清水卯一氏の大皿。
本来は自然現象として起こる貫入を意図的にコントロールして、
独特の文様を生み出した浦口雅行氏の深鉢。



清々しくも妖しい「青」の世界の中に放り込まれて、
日本人の感性の豊かさ鋭さにすっかり魅せられてしまった数時間でした。
(静岡市美術館にて8月16日まで)

  


Posted by kittsan at 09:24Comments(0)展示会の事

2015年06月22日

私にとっての、今年の父の日

静岡市中町日赤病院前の「奇跡のクスノキ」
70年前の静岡大空襲(1945年6月19〜20日)で焼き尽くされながらも
炭化したような状態になっていた幹から3年後に奇跡的に芽が吹き、
今日まで生き残ったものだそうだ。



70年前、私の父も多くの兵隊が全滅した太平洋南方の島から、
奇跡的に日本に生還することが出来たひとりだ。

私の父(杉山清一)は大正11年に生まれ、平成20年に86歳で没した。
父の青春時代前半は太平洋戦争の真っ直中。
徴兵制が敷かれて、多くの男子と同じように赤紙が来て戦場にかり出された。
父が行った戦地はフィリピン・ミンダナオ島のダバオ市。
南方の島々は激戦地と化し、生き残る人のない玉砕の島々も多々あった。

私の父がフィリピンの戦地へ着いたときの第一印象。
「兵器も食糧も不足していて、これでは戦争に勝てるわけがない。」
そう思ったそうだ。
その後戦闘が激化し、ミンダナオ島の山間部のジャングルに身を潜めた日本兵は、
それこそ蛇でも蛙でも何でも食べたらしい。
他の戦場同様、ここでも戦闘で倒れることより、むしろ病気や飢餓のため、
数万人の兵士・民間人が死亡したのが事実だそうだ。
父は衛生兵という役目で後方にいたため、戦闘現場に出ることは少なかったのか、
九死に一生を得て、日本へ帰還することが出来たのかもしれない。



父の母親(私の祖母)は、父が戦場から実家に戻ったとき、
「清ちゃん、あんた足があるかね。」と叫んだという。
そのくらい奇跡的な生還だったそうだ。
そしてしばらくして、マラリア熱に犯されて生死の境をさまよった時期があった。

私の祖父「吉蔵」(父の父親)は戦時中、防災班の代表を務めていたそうだ。
1945年6月19〜20日の静岡大空襲の時、
ここの一番町学区は市の中心部だったため壊滅的な焼け野原となった。
炎から身を守るため、多くの住民を連れて、
一番町小学校のプールの水の中に身を潜めて難を逃れたという。

終戦後、父は祖父の起こした家具職人の仕事を再興し、
母と結婚して私が生まれ、現在に至っている。



父は私に戦争の話はほとんどしなかった。
思い出したくないことが山ほどあったに違いない。
それでも同期の戦友達との交流は欠かさなかった。
その戦友達もひとり亡くなりふたり亡くなり・・・。
もうその当時のことを伝える人が居なくなってしまっている。

私は最近、母や父の妹など、当時の事を経験している人たちから
多くのことを聞き出し、資料を残していかねばと思っている。
そして子供達にも、その事を伝えていかねばと思っている。
戦争のことは概念や議論だけではなく、市民個人の体験が不可欠だと思っている。
  

Posted by kittsan at 09:01Comments(0) 私事

2015年06月01日

五月晴れの一日、登録有形文化財「鈴木邸」を訪問

真夏の日差し溢れる、五月最後の土曜日(5/30)。
安倍川を溯った中ノ郷にある、登録有形文化財「鈴木邸」に行ってきました。



邸内では、ご近所の方が育てた絢爛たるさつきの盆栽がならび、
色とりどりの花がお客様の目を楽しませてくれます。
ちょうど昼食時で、奥の座敷の広間では皆さんがお弁当を広げていました。
使い込まれた旧家の和室は本当に私たちをリラックスさせてくれます。



今回は「初夏の催事」と言うことで、
「吉蔵」のお客さまのお嬢様がお手前をされる茶会があるので、妻と参加。
落ち着いた茶室の床の間の掛け軸には「無一物」の文字が美事です。
美味しいお菓子と、趣味のいいお茶碗に盛られたいっぷくのお茶。
お道具もそれぞれ素晴らしいものばかりで、楽しい一時を過ごさせて頂きました。



しかし、一番驚いたのは、洋間の本棚にぎっしり並んだ本の数々。
「永久敗戦論」「21世紀の資本」「銃・病原菌・鉄」「資本主義の終演と歴史の危機」
そして、今私が読んでいる「日本はなぜ、基地と原発を止められないのか」など。

これらは鈴木邸の御当主の蔵書で、ここには比較的最近の本がならび、
その他は膨大な数の本が倉庫にあるそうです。
知人がご本人を紹介して下さったので伺ったところ、
現在は東京で出版のお仕事をされているそうで、
特に社会学と哲学に関する本がお好きで多いとのことです。

そして、毎年春秋に「探書会」なるイベントがあり、
本に関するトークライブ、朗読会、古書店出店などが催されるようです。

鈴木邸を訪れたのは妻は初めてのようですが、
私は数年前、たしか「民家の会」の講演会で伺った記憶があります。
今回再び訪れて、こんなに素晴らしい文化交流が行われている事を知り大感激。
次回はぜひ「秋の探書会」の時、訪問しようと思っています。
  


Posted by kittsan at 07:50Comments(0)本の事

2015年05月26日

仏壇と盆栽と文楽と/2015年5月21日東京

久しぶりの東京出張。
仏壇店で修理と、盆栽園を訪問して、
締めは久しぶりの国立小劇場「文楽」鑑賞へ。



銀座のど真ん中の高級仏壇店で、弊社製作の仏壇の修理。
塵一つないショールームの片隅で、照明部分の取り替え。
店長さんが慣れた手付きで補助役に回ってくれるので超緊張した。

銀座の喫煙場所ともいえるミニ公園で、中華弁当を買って昼食。
こういう場所って、99%が男性の溜まり場だ。



午後は盆栽界の異端児&第一人者小林圀雄氏が
10億円かけて作ったと言われる「春花園BONSAI美術館」へ。
美事な盆栽の数々もさることながら、盆栽を乗せる卓や棚に興味有り。
紫檀黒檀などの貴重な材、唐木工芸品が用いられ、
なおかつ年代物が価値を持つといわれている。
とても手が出る世界ではないけれど、園内独り占めして堪能した。



夕方は、文楽を観に国立小劇場へ。
・大仕掛けの活劇時代物「祇園祭礼信仰記」
・きめ細やかな心中物「桂川連理柵」(れんりのしがらみ)
2時間づつの大作、2本の出し物で¥6,700は安い!
そして、熟練した日本の名人芸は何度見ても素晴らしい!

金が家が国が宗教が、個人の自由や夢を押しつぶす世の中を、
人形と浄瑠璃が哀憐たっぷりに歌い上げる。

人の生き死にが意地や義理、名誉やしがらみで左右される社会。
仇討ちも心中も特攻も、死を美化する倒錯的傾向とも言われるけれど、
こうした洗練された様式美で表現されると、感動以外の何ものでも無し。

帰りの新幹線。
しゃべくりおばちゃま軍団の隣に座ってしまった。
彼女たちの奇声が子守歌となって、静岡まで夢うつつ状態だった。  


Posted by kittsan at 08:40Comments(0)旅の事

2015年05月23日

多様性と個別化/映画「イミテーション・ゲーム」

アカデミー賞で話題になったイギリス映画
「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」のこと。

ギリスの天才数学者アラン・チューリングは、第二次世界大戦時、
ドイツ軍が誇った世界最強の暗号<エグニマ>の暗号解読に挑み、成功した。
彼の功績は戦争終結を2年以上早め、1400万人以上の命を救ったと言われている。
そして彼の生み出したマシーンは現代のコンピューターの元とされる。

人間の頭脳がコンピューター化されていく戦時中の解析ゲームを描いた
この映画を見ていて、ふっとこんなコトを考えた。



映画の主人公は、暗号機械の15京なにがしの膨大なデータを分析して解析する、
機械を発明稼働させ、ある幾つかの法則を組み立てていく。
優れた能力の機械に打ち勝つには、それを越えた頭脳を持つ機械を誕生させること。
天才A.チューリングはそういう能力を持つマシーン(コンピュター)に挑んでいった。


コンピューターの1つの面。
 物事の色々な側面を出来るだけ多く感じ受け取る力・・・「多様性」
コンピューターのもう1つの面
 それら多様な面を一つ一つそれに相応しいタイプに分析分類出来る力・・・「個別化」

受け入れる膨大な頭脳と、組み立てていく冷静沈着な能力を合わせ持つコンピューター。
そしてその後、彼の生み出したマシーンは「多様性」「個別化」「沈着さ」
「良心」「先進性」など、人間の理想的な姿のコンピューターに進化していく。

もしこの映画が、(たとえフィクションでも)その様に話の展望が向いて行ったら、
新しい時代の素晴らしい傑作になっていたと思う。

ただし実際にはこの映画は、彼の友人への恋と性の秘密がもう一つのテーマであり、
彼の数奇な人生と、生きていた時代の不寛容さ(同性愛であることの罪)を描いていた。

それが私には、彼の不幸な生涯を哀れむという、よくある映画の形に思えたため、
残念ながら、それほど面白い映画とは感じられなかった。
  

Posted by kittsan at 08:47Comments(0)映画の事

2015年05月13日

インテリジェンスの力、きみたちどうなんだ?

毎月楽しみにしている朝日夕刊連載
池澤夏樹氏の「終わりと始まり」



逗子海岸映画祭で「アート・オブ・ラップ」という
アメリカンラッパーたちのドキュメンタリーを池澤氏が観た時の感想。
浜辺で自由にラップ映画を楽しむ雰囲気が
あの有名な「ウッドストック」のようだと言う。
そして、こうした世界中へ浸透していく柔軟なアメリカの若者文化と
独占的攻撃的で、世界を敵にまわすアメリカ政治との対比をしている。

 ・・・・・・・・
 そして、「宰相A」(田中慎弥)こと安倍晋三が今回この国を
 安保の鎖で縛り付けたのはこの忌まわしい方のアメリカだった。
 これからやって来るそういう不幸、
 そういう絶望を謡う歌を、
 若い日本は作り出せるか?
 権力の座にある老人どもの恫喝に耐えて歌えるか?
 きみたち、どうなのだ?
  (5/13 憂国のラップー日本の若者は歌えるか)




先日、初めてSPACの二つの演劇を観に行って、ちょっと驚いた。
私たち高齢者より、圧倒的にヤングやミドルエイジが多い。
なんかフェスティバルに参加しているように、カラフルでお洒落な若者達。

対する、SPAC主催者の宮城聡氏の含蓄のあるその時のテーマ(メッセージ)。
昨年は「多様性」、そして今年は「空気を読まない」。
宮城氏の伝えずにはいられない、せっぱ詰まった日本の危機感を、
感度の高い若いSPACファンが、私たち以上に胸に響いて感じているか?

私はこんな素晴らしいインテリジェンスの力を持った人たちが
日本にいることをとても感動しているし、誇りに思っている。

そこで、私も
きみたち、どうなんだ? と、聞いてみたくなった。  


Posted by kittsan at 09:16Comments(0)社会の事

2015年05月11日

ふたりの俳優に圧倒されたSPAC演劇「ふたりの女」

SPAC劇団の観劇2回目は日本平野外劇場での「ふたりの女」。
唐十郎のアングラ演劇が原作であることと、
源氏物語の葵の上と六条御息所の話をモチーフとしていることで
たいへん興味深かった。

精神病院を舞台に、病院の先生光一(光源氏)が、
アオイ(葵の上)と六条(六条御息所)の恋のエロスに振り回される話。



古典の好きな妻の話によると、
この劇ではラブレターを書くほど光一はアオイに恋しているようだけれど、
源氏と葵の上の関係はそれほどラブラブではなかったらしい。
実際、源氏は自分の子を宿した正妻の葵の上がいながら、夕顔のところへ通っている。
六条御息所もこの劇の六条ほど源氏(光一)にモーションをかけているわけでもない。

葵の上も六条御息所も、源氏より年上でプライドが高く、
葵祭の折、お互いの陣地の取り合いで車争いに敗れた六条が、
その恨みを生き霊として葵の上に取り付き、呪い殺したと言われる。
恋の嫉妬というより、辱めに合いプライドを傷つけらた事も大きな原因のようだ。

SPAC 版「ふたりの女」では、後半で気付いたのだけれど、
一人の女優がアオイと六条の二役をやっている。
だからむしろ、光一がアオイがいながら六条の事も気になるのは、
女性像の二つのタイプ、双方に惹かれている男心の反映とも取れる。
それが証拠にアオイの死で傷心していた光一は六条と抱擁することで
立ち直るようなラストシーンである。
重要な車争いの場面もスピードレースの場に置き換えているけれど、
アオイと六条が争ったわけでもなく、印象が薄い。



むしろこの劇の面白さは、物語より俳優達のタガが外れたリアクション。
きちんと調えてあった砂の格子ラインが蹴飛ばされズタズタになるほど、
役者さん達の動きが縦横無尽で面白い。

特に一人二役を演じた「たきいみき」さんの、
ふたりの女の霊が乗り移ったような、圧倒的な存在感。
世界に羽ばたいていくSPACを代表する大物女優さんなんでしょうね。
それと、空想の世界で遊んでいるような駐車場係を演じた男優さん。
無を見つめて動かない馬面の表情が他の俳優さんから浮いていて、
その不気味さは、それがもともとのキャラクターに思えるくらい。
とにかく演じているという感じが全くしないお二人の俳優さんだった。


1970年前後学生だった私は、あの新宿の猥雑とした空気の中で、
新宿文化でATGの映画を見たり、
新宿駅前広場でフォークソングを歌ったり、
三平食堂で安い食事にありついたり・・・。

この演劇を観ていると、その頃の事が時々走馬燈のように浮かんできて、
あの夢のような学生時代が懐かしくてしかたがなかった。  


Posted by kittsan at 09:12Comments(0)演劇の事

2015年05月09日

わたしもやっている「健康デザイン」

デザインにもいろいろあるそうで、
インテリアデザイン、働き方を構築する「キャリアデザイン」
そして健康への取り組み「健康デザイン」も考えられる。

デザイナーの佐藤可士和氏が面白い記事を書いている。
朝日新聞5/9朝刊Be「デザイン最前線」より

彼によると健康デザインのポイントは4点。
意識体幹食事睡眠



健康に留意し調えることを意識することが出発点。
体幹を鍛えるために必要な日常的な運動。
バランス良く腹八分目の食事
眠りの質が高い夜10時〜午前2時のあいだの睡眠

確かに私もそう思い、なるべく実行している。
長生きしたいということより、一日一日を快適に、
無理をせず、明日に疲れを残したくないよう意識はしている。

カラダを動かし、体幹を鍛えることは楽しい。
もう20年近く続いている週に1〜2回のエアロビクスレッスン。
浅間さんの百段を登りお参りして下ってくる、毎朝ウォーキング。
重度の脊椎間狭窄症と診断されたが、薬も飲まず痛みも少ない。

わが妻は料理上手で、野菜果物肉魚のバランスのいい食事を作ってくれる。
朝食は私の担当で、無い知恵をしぼりながらサンドウィッチの具を考える。
もちろん薬は最低限、効用を信じていないサプリはいっさい吞まない。

就寝は夕食後しばらくするとな眠くなってしまう。
意識してというより、朝が早いので自然と夜9時ころには床につかざるを得ない。
確かに規則正しい睡眠を取っていると、朝の血圧も高くはならない。

 ある対象が持つ課題を、より良い方向に変えていく一連の行為がデザインだ。
 昨今その対象は形あるモノから形のない情報やイメージ、
 体験などにどんどん広がっている。
 デザインは、その力をうまく使えば現状を良い方向に変えられる
 とても効果的な方法の一つだ。


現役で仕事を続けていると、若いときと同じように出来ると思ってしまう。
でも身体も心も正直で無理はきかない。
日々の暮らしは健康があってこそ、の充実感や満足感がある。
健康をデザインして、命尽きる日まで楽しく暮らしたい。
  


Posted by kittsan at 10:02Comments(0)新聞の事