2017年02月17日

病気いろいろ 人生さまざま

2週間の病院生活で、同室となった何人かの方々。
カーテン越しに話が聞こえてきたり、親しくお話させて頂いたり。
ほんとうに、病気いろいろ人生をさまざま、でした。



タクシー運転手の30代のAさん、お年寄りの車に2回も追突され、
首のヘルニアで手術のため入院。
入院費は相手の保険で出るようですが、
加害者は一度もお詫びも見舞いも無いそうです。

そのA君、新しく入院した男性が病室で看護師や事務員と
手続きの話を大きな声で長時間話していたのに激怒。
「そういう打ち合わせはロビーでやってくれ。
こっちは傷が痛くて余計イライラさせられる。」
カーテン越しに聞いていた私はドキッとしたのですが、
手術前の人と手術後の人のストレスの違いが歴然としていました。


本を読んでいると隣から何やら異様な匂いがしてきました。
看護師さんが寝たままのBさんの姿を見て、
「Bさん、パジャマが濡れちゃってる。
あらあら、全部でちゃったねぇ。」
「便が出そうだったけれど、看護婦さんがあんまり忙しそうだったので、
ナースコールを押すの悪いと思っちゃったんだよ。」
数人でシーツから何から総入れ替え、窓も開けて消臭剤をふり撒いていました。


ある資料によると、多くの少年たちの普段使用している言葉の
ベスト3は「ヤバイ」「キモイ」「ウザイ」だそうです。
サッカーのゴールキーパーで手の平を骨折した高校生のC君。
ベッドでレポートを書いて熱心に勉強して居たのですが、
手術後は傷が相当痛かったのでしょう。
「ああ、やばいやばい。」
「どこの指が痛いの?」
「親指がヤバイ。」


私と同じ脊椎間狭窄症の手術で同室した愛想のいいDさん。
私と同年代の方で、奥さんと息子さん娘さんが毎日来ます。
冗談言ったり笑ったり、とても楽しそうな雰囲気。
奥さんによると、そのうちお爺さんも見舞いに来たいと言っているとか。
仲良し家族の家庭内風景が目に見えるようでした。


私の退院の前日に入院されたEさん。
看護婦さんが、体温計と血圧計を持ち出し
「Eさん、体温と血圧を測りますのでお願いします。」と言うと、
「もう測ったよ。」と自分で持って来た体温計と血圧計で測った数字を
見せているようです。
看護婦さんはちょっと困った様子でしたが、更に
「普段飲んでいる常備薬も入院中は病院で管理させて頂きますので
出してください。」と言うと、
「俺は全部自分で飲み方が分かっているから自分でやるよ。」
自己管理の行き届いた御老人のようですが、
看護師さんは戸惑いながらも、説得に勤めて居ました。


短い間でしたが、色々な方と歓談させて頂き、
痛くもあったけれど、有意義な興味ある入院生活でした。


  

Posted by kittsan at 10:00Comments(0) 私事

2017年02月01日

1950年代の静高生を描いた小説/三木卓著「柴笛と地図」

今迄、あまり知らなかった作家「三木卓」
全く聞いたことがなかった小説「柴笛と地図」(集英社文庫)

この物語が1951年から54年まで、静岡高校で過ごした主人公の
少年の思春期を描いた、氏の自伝的小説だったとは・・・。



当時静高(旧制静岡中学)は静岡大空襲で焼かれ、
駿府城趾にあった静岡三十四連隊の兵舎を使って授業が行われ、
そのため「城内高校」と呼ばれていた。
今の長谷町に戻り、再建されたのは1953年、
その秋、校名も静岡高校となったそうだ。

この本を読むと、当時の静高生がこんなにも大人びていたのか
と、只々驚く行動ぶりが展開される。

社会科学研究部に入り、共産党の党員になるコースが十代からあり、
マルクス、エンゲルスの「空想から科学へ」を議論する。
西洋音楽(クラシック)に於ける造詣はプロ並み。
野村胡堂(あらえびす)の音楽評論が出て来るは
ヌブーやカペー弦楽四重奏団などの演奏批評の数々。
文学は勿論、太宰治から小林多喜二、中野重治と、
デカダンスから共産主義の作家まで、びっくりするほどの読書量。

そして、今は懐かしい静岡市の場所や店の名前。
開かずの踏み切り「八幡の踏切」、クラシックを取り寄せるなら「すみや」
どこへ行くのも自転車で、そこは今の静岡の高校生となんら変わらない。
勿論、静岡弁「・・・だか」「・・・だけん」「・・・じゃん」も随所に出て来る。

そんな静岡の風景が網羅され、あの時代の空気が小説のあちこちに漂う。

しかし、一番驚くのは、人間関係の密なことと、自分で考えようとする
バイタリティにあふれた高校生ばかりだということ。
引揚者、片親、貧困、病気が日常茶飯事の1950年代に、
自分の力で生きていかなければ、誰も助けてくれない事を
背伸びしながらも自覚し、行動している十代であること。

まさに時代が過酷にも彼らに試練を与える事で、
彼らがモラトリアムで居られない状況に放り出されている。
気の毒のような、でもうらやましいような充実した人生を垣間見ることができる。

この小説を知ったのは、2014年3月22日の日経夕刊の文化欄を読んだ時。
そんな小説があったのかと、早々に文庫本を買った。
500ページもある長編だったので、なかなか読む機会がなかった。
それが時間が余った今、4日で読んでしまった。

私が母校静岡高校を卒業して、今年で50年になる。
記念の同窓会が開かれるが、ぜひこの小説の話をしてみたいと思っている。

  


Posted by kittsan at 19:15Comments(0)本の事