2008年06月14日
追悼ウォーキング
先日急逝したカリグラファーのAは、ウォーキングの指導者という別の顔がありました。
今日は、その彼の追悼ウォーキング。
昔の仲間から声を掛けてもらったので、何年かぶりに参加しました。

三十代も終わりの頃、スポーツウォーキングを知りました。
競歩ほどではないけれど、手の振り方、足の運び方、呼吸の仕方などの形を整え、
出来るだけ早く、長く歩くスポーツです。
競歩で鍛えたAのフォームを参考に、数名の仲間と毎週数キロのウォーキング。
だんだん脚力が付き、記録に挑戦しようと、地域のウォーキング大会に参加。
また、旧東海道を三島大社から浜名湖新居の関所まで、毎日数十キロを歩き通しました。
梅ヶ島からのナイトウォークも、身延山からの塩の道ウォークも、
今思えば、四十代はウォーク三昧の日々でした。
五十代にになって、私の場合は、痛めた腰のリハビリで始めた、
エアロビクスに運動の中心が移っていくわけですが、
Aはその後もウォーキングの指導を続け、多くの愛好家を増やしていきました。
仕事にもスポーツにも、熱心で責任感が人一倍強く、謙虚でやさしい人柄を偲んで、
今日のウォーキングは昔の仲間を始め、多数の参加者がありました。
そして、彼の意志を継いで、これからもスポーツウォーキングを広めていくよう、皆で誓いました。
今日は、その彼の追悼ウォーキング。
昔の仲間から声を掛けてもらったので、何年かぶりに参加しました。

三十代も終わりの頃、スポーツウォーキングを知りました。
競歩ほどではないけれど、手の振り方、足の運び方、呼吸の仕方などの形を整え、
出来るだけ早く、長く歩くスポーツです。
競歩で鍛えたAのフォームを参考に、数名の仲間と毎週数キロのウォーキング。
だんだん脚力が付き、記録に挑戦しようと、地域のウォーキング大会に参加。
また、旧東海道を三島大社から浜名湖新居の関所まで、毎日数十キロを歩き通しました。
梅ヶ島からのナイトウォークも、身延山からの塩の道ウォークも、
今思えば、四十代はウォーク三昧の日々でした。
五十代にになって、私の場合は、痛めた腰のリハビリで始めた、
エアロビクスに運動の中心が移っていくわけですが、
Aはその後もウォーキングの指導を続け、多くの愛好家を増やしていきました。
仕事にもスポーツにも、熱心で責任感が人一倍強く、謙虚でやさしい人柄を偲んで、
今日のウォーキングは昔の仲間を始め、多数の参加者がありました。
そして、彼の意志を継いで、これからもスポーツウォーキングを広めていくよう、皆で誓いました。
Posted by kittsan at 23:52│Comments(0)
│スポーツの事