2017年08月25日

鬱になった。

やる事が重なって、それがうまく進まなくて、
問題が次々に起きて、期限がどんどん迫ってきて。

食欲が無くなって、体重が段々減ってきて、
起きているのが大変で、横になってばかりいて。

人に会ったり、電話するのが億劫で、
mailやfacebook、新聞も本も映画も見る気がしなくて。

6~7月は経験した事がない鬱状態だったかも・・・。

・・・そ んな胸の重りがいつの間にかスーッと消えたのが8月のいつか。

早朝ウオーキングを再開して、朝食を作るようになり、
新聞を読んで、メールを見て、facebookに投稿し、
お腹一杯食べる様になり、体重が増えてきて、
ようやく仕事の方も計画的にこなせる様になりました。


そして、明日のビジネスを考えるセミナーにも参加する程前向きに。

・・・と言うわけで、同夜同所 (8/24・b-Nest) で開催された
「EC最新技術活用入門」講座と
「ドラッガー研究会」とをハシゴしてきました。



どちらでも初対面の人と会話する機会があって、
久し振りに新鮮な空気を吸いました。

ノイローゼは治ったのでしょうね。
  

Posted by kittsan at 21:40Comments(0) 私事

2017年05月18日

肺に影がある?

1月に脊椎間狭窄症の手術をして約2週間後、
無事退院してさらに数日後、
年に一度の会社の健康診断がありました。

血液検査、心電図、胸部X線検査、血圧他
ひと通りの検査を受けた後、しばらくして結果が来ました。

「胸部X線検査で異常陰影が見られます。
3ヶ月後に再検査をお受けください。」

エエッ! 肺に影がある?
腰の手術で入院したばかりなのに、
また、肺に何かの病気があるなんて・・・。

この歳になるといい事は考えません。
二人に一人はなるという、あの成人病が私にも来たか!




若干の不安を抱えながら、3ヶ月経った先日再検査に行って来ました。
同じ様に胸部X線検査をした後、担当の医師の説明がありました。

「健診の時、肺の両下肺葉に湿潤影がありました。
普通こう言う所に余り影は出ないのですが、何かあったんでしょうか?」

そう言えば・・・。
背骨を安定させるため、手術後3ヶ月間は腰から胸に掛けて
コルセットを締めていなければならない状態にあった。
健診の時は付けていたコルセットを一時的に外して診察を受けた。

そうですか・・・。
何かで肺をギュッと締め付け圧迫すると無気肺状態になる。
一時的に肺のカタチが狭くなってしまうんですね。
コルセットを外しても直後は戻らないから。
・・・病名は「板状無気肺」とあった。

なるほど・・・。
3ヶ月経った今はコルセットはしていないから
湿潤影はありません、になるのか。

と言うわけで、ひとまずは安心の再検査でした。
  

Posted by kittsan at 09:51Comments(0) 私事

2017年02月17日

病気いろいろ 人生さまざま

2週間の病院生活で、同室となった何人かの方々。
カーテン越しに話が聞こえてきたり、親しくお話させて頂いたり。
ほんとうに、病気いろいろ人生をさまざま、でした。



タクシー運転手の30代のAさん、お年寄りの車に2回も追突され、
首のヘルニアで手術のため入院。
入院費は相手の保険で出るようですが、
加害者は一度もお詫びも見舞いも無いそうです。

そのA君、新しく入院した男性が病室で看護師や事務員と
手続きの話を大きな声で長時間話していたのに激怒。
「そういう打ち合わせはロビーでやってくれ。
こっちは傷が痛くて余計イライラさせられる。」
カーテン越しに聞いていた私はドキッとしたのですが、
手術前の人と手術後の人のストレスの違いが歴然としていました。


本を読んでいると隣から何やら異様な匂いがしてきました。
看護師さんが寝たままのBさんの姿を見て、
「Bさん、パジャマが濡れちゃってる。
あらあら、全部でちゃったねぇ。」
「便が出そうだったけれど、看護婦さんがあんまり忙しそうだったので、
ナースコールを押すの悪いと思っちゃったんだよ。」
数人でシーツから何から総入れ替え、窓も開けて消臭剤をふり撒いていました。


ある資料によると、多くの少年たちの普段使用している言葉の
ベスト3は「ヤバイ」「キモイ」「ウザイ」だそうです。
サッカーのゴールキーパーで手の平を骨折した高校生のC君。
ベッドでレポートを書いて熱心に勉強して居たのですが、
手術後は傷が相当痛かったのでしょう。
「ああ、やばいやばい。」
「どこの指が痛いの?」
「親指がヤバイ。」


私と同じ脊椎間狭窄症の手術で同室した愛想のいいDさん。
私と同年代の方で、奥さんと息子さん娘さんが毎日来ます。
冗談言ったり笑ったり、とても楽しそうな雰囲気。
奥さんによると、そのうちお爺さんも見舞いに来たいと言っているとか。
仲良し家族の家庭内風景が目に見えるようでした。


私の退院の前日に入院されたEさん。
看護婦さんが、体温計と血圧計を持ち出し
「Eさん、体温と血圧を測りますのでお願いします。」と言うと、
「もう測ったよ。」と自分で持って来た体温計と血圧計で測った数字を
見せているようです。
看護婦さんはちょっと困った様子でしたが、更に
「普段飲んでいる常備薬も入院中は病院で管理させて頂きますので
出してください。」と言うと、
「俺は全部自分で飲み方が分かっているから自分でやるよ。」
自己管理の行き届いた御老人のようですが、
看護師さんは戸惑いながらも、説得に勤めて居ました。


短い間でしたが、色々な方と歓談させて頂き、
痛くもあったけれど、有意義な興味ある入院生活でした。


  

Posted by kittsan at 10:00Comments(0) 私事

2017年01月23日

私の腰痛(リハビリ)レポート その2

脊椎間狭窄症
腰痛対策最前線の記事によると、
腰痛には原因不明の非特異的腰痛(85%)と
原因が明確化出来る特異的腰痛(15%)がある。
重篤な特異的腰痛には腫瘍や感染、大動脈瘤によるものと、
それ以外の外傷、骨折や神経痛による腰痛に分けられる。

その内の神経症状の痛みがいわゆる坐骨神経痛。
さらに座骨神経痛の二大原因疾患が腰椎椎間板ヘルニアと脊椎間狭窄症。
厳密にいうとその2つの疾患は腰痛ではなく、
おしりから足にかけての痛みやしびれが主症状となっている。
20代から40代に起こりやすい椎間板内の髄核が飛び出るヘルニアと
高齢者に多い加齢によって脊椎間が狭くなり神経が圧迫される狭窄症。

重度の脊椎間狭窄症と診断された私は、左尻上腰部と左足親指人差し指あたりに
痛みと違和感を感じながら、良くなったり悪くなったりを繰り返してきた。
そして昨年12月12日、左腰に激痛が走り立っていられなくなった。

その後、激痛は収まったけれど、何故か左足に力が入らなくなってしまった。
足の親指を反らせると、右親指は普通に反るけれど、左親指は力なく反らない。
これはおかしいと即座に病院で診察を受けた。

「神経が弱っていて筋力が落ちています。痛みや痺れは解消するけれど、
麻痺状態は早く外科治療をしないと元に戻らない可能性があります。」
医者は早いうちに手術することを勧めた。



・・・・・続く。

  

Posted by kittsan at 06:42Comments(0) 私事

2016年08月19日

私の腰痛(リハビリ)レポート その1

40代はスポーツウォーキング、
50代はエアロビクス。
少年時代はまともに的に向かってボールが届かなかった位の
運動オンチの小生が、20代になって身体を動かす爽快さに目覚め、
60代後半の今も運動を続けているのですが・・・・・。

2013年2月28日。
会社のショールームでお客様と雑談中、左後ろの腰の一部に違和感を感じた。
夕食を済ませたころからその部分に痛みが生じ、
そのうち立っていられないくらいの激痛が広がっていった。
寝られない夜を過ごし、翌朝は這ってトイレ行く始末。

これはたまらん、次の日は仕事どころか早々に整形外科病院に診察に出かけた。
腰椎4番と5番の間がつぶれているのがレントゲン検査で判る。
更に一週間後、MRIで調べてみるとその部分の血行が極端に悪くなっている。
「重度の脊椎間狭窄症です。」私の脊椎画像を見せて、整形医の診断があった。






そういえば、痛みが起きた数日前東京へ重い箪笥を運んできた。
また、その次の日もライティングデスクを市内のお客様へ納めている。
その頃腰への負担が大きい仕事が立て続けにあったせいかもしれない。

病院に通い始めてしばらく、妻が言った。
「ちょっと歩き方がおかしい。左足と右足で違っている。」
たしかに、左の腰から足にかけて痛みがあるのでかばうような歩き方。

次第に痛みが軽くはなってきているけれど、
激しい運動は無理のようで、泣く泣くエアロビ上級コースからは降りてしまった。
果たしていつかは、腰の痛は消えてくれるのだろうか。

・・・・・続く。

  


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2015年06月22日

私にとっての、今年の父の日

静岡市中町日赤病院前の「奇跡のクスノキ」
70年前の静岡大空襲(1945年6月19〜20日)で焼き尽くされながらも
炭化したような状態になっていた幹から3年後に奇跡的に芽が吹き、
今日まで生き残ったものだそうだ。



70年前、私の父も多くの兵隊が全滅した太平洋南方の島から、
奇跡的に日本に生還することが出来たひとりだ。

私の父(杉山清一)は大正11年に生まれ、平成20年に86歳で没した。
父の青春時代前半は太平洋戦争の真っ直中。
徴兵制が敷かれて、多くの男子と同じように赤紙が来て戦場にかり出された。
父が行った戦地はフィリピン・ミンダナオ島のダバオ市。
南方の島々は激戦地と化し、生き残る人のない玉砕の島々も多々あった。

私の父がフィリピンの戦地へ着いたときの第一印象。
「兵器も食糧も不足していて、これでは戦争に勝てるわけがない。」
そう思ったそうだ。
その後戦闘が激化し、ミンダナオ島の山間部のジャングルに身を潜めた日本兵は、
それこそ蛇でも蛙でも何でも食べたらしい。
他の戦場同様、ここでも戦闘で倒れることより、むしろ病気や飢餓のため、
数万人の兵士・民間人が死亡したのが事実だそうだ。
父は衛生兵という役目で後方にいたため、戦闘現場に出ることは少なかったのか、
九死に一生を得て、日本へ帰還することが出来たのかもしれない。



父の母親(私の祖母)は、父が戦場から実家に戻ったとき、
「清ちゃん、あんた足があるかね。」と叫んだという。
そのくらい奇跡的な生還だったそうだ。
そしてしばらくして、マラリア熱に犯されて生死の境をさまよった時期があった。

私の祖父「吉蔵」(父の父親)は戦時中、防災班の代表を務めていたそうだ。
1945年6月19〜20日の静岡大空襲の時、
ここの一番町学区は市の中心部だったため壊滅的な焼け野原となった。
炎から身を守るため、多くの住民を連れて、
一番町小学校のプールの水の中に身を潜めて難を逃れたという。

終戦後、父は祖父の起こした家具職人の仕事を再興し、
母と結婚して私が生まれ、現在に至っている。



父は私に戦争の話はほとんどしなかった。
思い出したくないことが山ほどあったに違いない。
それでも同期の戦友達との交流は欠かさなかった。
その戦友達もひとり亡くなりふたり亡くなり・・・。
もうその当時のことを伝える人が居なくなってしまっている。

私は最近、母や父の妹など、当時の事を経験している人たちから
多くのことを聞き出し、資料を残していかねばと思っている。
そして子供達にも、その事を伝えていかねばと思っている。
戦争のことは概念や議論だけではなく、市民個人の体験が不可欠だと思っている。
  

Posted by kittsan at 09:01Comments(0) 私事

2014年12月31日

身体の健康・知の健康

今年最後の一日の日課も早朝 walkingと facebook watchingから始まりました。

まだ夜明け前の薄暗いなか、自宅から浅間神社目指してウォーキング。
腕を振り早足で、途中後ろ向きウォーキングをしたり仕舞を舞ったり。
神社の百段は休まず一気に登り、その上の麓山神社でパンパンパン。
帰りはゆったりした脇の山道を下り、自宅へ。
最後は足のストレッチや四股踏みとマッサージで終了。



それをほぼ毎日繰り返し、数キロの減量と腰痛軽減を達成しました。
荘厳な夜明けの風景を堪能し、気分爽快になることもありがたい。
娘が聞いてきた話によると、毎日30分ウォークは精神身体の安定に
多大な効果をもたらすそうです。



早朝walkingの後、朝食を取ってPCに向かいfacebook watching.
今日も、さまざまな人がさまざまな日常を垣間見せてくれる。
「今どんな気持ち?」
私も驚いたこと、気になったこと、伝えたいことなど、
自分の見方で自分の言葉で、発散する場があり固まったこころが溶けていくよう。

このごろ面白くなったのは、「いいね!」をしたfacebook pageの記事。
新鮮で予想外の情報が次々入ってきて、思わず読みふけってしまう。
コミュニケーションスタイルがどんどん進化していくfacebookが面白い。



あとわずか数時間で新しい年2015年。
今年もkittsan流ブログにお付き合い下さり、ありがとうございました。
また、来年も宜しくお願いします。
  

Posted by kittsan at 21:33Comments(0) 私事

2014年12月03日

ぞろ目の歳

昨日(12/2)の朝日新聞夕刊、池澤夏樹氏の「終わりと始まり」に
面白い記事が載っていた。


もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、
たからをとりにゆくといへり。
けしからぬことならずや。
たからは、おにのだいじにて、しまいおきしものにて、
たからのぬしはおになり。
ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、
もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるものなり。
もしまたそのおにが、いつたいわろきものにて、
よのなかのさまたげをなせしことあらば、
もゝたろふのゆうきにて、これをこらしむるは、
はなはだよきことなれども、たからをとりてうちにかへり、
おぢいさんとおばゝさんにあげたとは、
たゞよくのためのしごとにて、ひれつせんばんなり。

(福沢諭吉が自分の子供のために書いた「びゞのおしへ」より)


池澤夏樹氏のこれと同じような考え
(日本人のお伽話が征伐(侵略)の物語である)
が教科書に採用された事について、政治家に批判されたそうです。
日本の伝統的な物語が偏向された考えによって、
純粋な生徒達に、ねじ曲げられて伝えられる・・・と。

これに対し、1つのテーマに対していかに異議を立てるか。
知的な反抗精神を養うのが教育の本義だ。
この桃太郎論を読んで、生徒達に多いに反発して頂きたいと、結んでいる。

団塊世代に生まれた私たちは、幸にもリベラルな空気の中で育ち、
学生運動など、反抗精神を丸出しに生きてきた。
そう言う私も、66歳になった今でも家では妻や子供達に煙たがられるほど
青臭い自分がいる。
でも、だから、あまのじゃくの好奇心や猜疑心が
これからのしばらくの人生を興味深いものにしてくれるかもしれない。

77歳は喜寿、88歳は米寿、99歳は白寿。
では、66歳は何というのだろう?
・・・・・・緑寿(りょくじゅ)というそうです。
  


Posted by kittsan at 09:18Comments(0) 私事

2014年07月26日

薬は飲みたくなかったけれど。

今日がタイムリミット。
恐る恐る、病院へ行ってきました。

実は私、10数年、会社の検診で高血圧、高脂血症と診断され、
その後町医者に通い、ず〜っと薬を飲み診察を受けてきました。

血圧を測り、定期的に血液検査と心電図をチェック。
それからは特に問題なく、今まで過ごしてきました。

ところが、先日の人間ドック協会の血圧数値の見直しのニュース。
「え〜? 私の数値でも決して悪くないジャン。」
サプリメント、トクホ等、ハナから信じていない私は、
薬だって飲まなければ飲まない方がイイ。

そこで、しばらく服用していた薬を止め、
その代わり毎朝しっかり家庭血圧計を計りました。
その結果、やはり飲まないと5〜10ほど高くなる。
けれど、ドック協会の数値より上に行くことはなかった。

なんだ、薬なんていらないんじゃないか。
素人考えですが、しばらく(1ヶ月くらい)放っておきました。
しかし、3ヶ月が過ぎて、さすがに気になりだしたので、
とにかく病院へ行くことにしました。



待ち受けた看護師さんが、開口一番、
「杉山さん、もう薬、とっくに切れているんでしょう?」

私は事情を話し、運動もして体重も減った旨を言いました。
しかし・・・当たり前だけれど、プロは手強い。
医者の持っている様々なデータを、こと細かに説明されて、
結局反論できず、「そうですねぇ。」で終わってしまった。

とにかく、今は薬が必要とのこと・・・とほほ。
それでも、次回は薬を止めるにはどうしたらいいかをしっかり聞こう。
次々回は一旦やめてもいい、と言わせてみせる。
と、その時は、とりあえず強い気持ちになった私でした。
  

Posted by kittsan at 09:30Comments(2) 私事

2014年01月31日

寒さ鬱(うつ)なんです。

1月も今日で終わり。
正月が遠く前のことのように感じられる。
元旦にblogをupした後、なんの更新もなかったので、
友人が心配して、電話をくれた。
有り難いことです。

原因は「寒さ鬱(うつ)」なんです。
12月生まれなのに、寒さは年とる共に我が生活に大きな影響を及ぼす。
まず、夏は6時に起きていたのに、早起きが苦手になる。
正月は欠かさなかった浅間神社の百段登りが億劫になる。
温かい事務所から、寒い作業場に行くのが辛くなる。
夜は温かい夕食が恋しくなり、パソコン作業もほどほどで終える。
そんな具合で、頭の回転も鈍く感度も悪くなって、文章が頭に浮かばない。

実は、今月はお客様に我が吉蔵工房に来て頂く、
「新春吉蔵工房展2014」を開催しました。
一日に多くて数人ですが、毎日のように来客あり。
売上も事前の予想をはるかに超えて、開催した甲斐がありました。
この展示会を待っていてくださり、わざわざ遠方よりお出掛け頂いた
ご贔屓さま方々、本当に感謝です。

この期間、妻はお茶と和菓子でもてなし、
商品をひとつひとつ説明し、
お買上頂いた品を包装し、代金を受け取る。
一人何役の忙しさです。

寒さで縮こまっている私と、
コマネズミのように動き回っている妻。
我が伴侶の接客のセンスに、今回もほとほと感心しました。


このところ少しづつ暖かくなってきたので、
私も元気を取り戻し、気分が晴れてきたようです。

「なまけ病の鬼は外! ポジティブ気分の福は内!」
2月は2月の(暖かい)風が吹いて、いいことがあるでしょう。
それを楽しみに、blogにたどり着きました。

  

Posted by kittsan at 15:37Comments(0) 私事

2014年01月01日

元旦をhappyにさせてくれる年賀状の束

明けましておめでとうございます。

元旦の朝。
早く起きたので恒例の浅間さんウォーキング。
7時前なのに、百段も山道も数珠繋ぎの盛況とは、
初めて見た光景だった。

家に戻ったら年賀状が一束、厚い元旦の新聞と一緒に入っていた。
お湯を沸かして、お茶を入れて、年賀状をめくる。



不幸が続きましたので、3年ぶりの年賀状となりました。
上京する時は、連絡下さい。(from 大学の友人)

・・・飾らない年賀状に思いがこもる、2年の空白。

「静岡○○」の発展型も検討しています。
本年もよろしくお願いします。(from 株式会社○○)

・・・商売繁盛 1年の計は元旦にあり、の良い見本。

Imagination will get you everywhere
 ーAlbert Einstein     (from HIDE)

・・・思わぬ人から、思わぬ年賀状。


毎年のことだけれど、
元旦の年賀状が、年の初めをハッピーにさせてくれる。

だから・・・ごめんなさい。
出すのが遅かったので、私の年賀状、元旦に届いていません。
必ず元旦に着くよう、年賀状をこつこつ書く人はほんとうに立派。

先んずれば人を制す・・・・ではなくて、
先んずれば人を楽しませる。
今年のもっとうは、これで行きましょう。

今年もよろしくお願いします。  
タグ :年賀状元旦


Posted by kittsan at 14:25Comments(0) 私事

2013年12月31日

病院から離れて・・・薬から離れて・・・。

2013年も最後の日となりました。
何とかこの日に1年の区切りを付けようと
あれもこれも、とりあえず片を付けて新年を迎えたい。

しかし、片がつかないのが自身の体。
今年早春にひどい腰痛にみまわれて、整形外科通い。
痛み止め、血行を良くする薬、湿布薬。

トイレが近くなって、外出時に我慢出来なくなることが増えた。
泌尿器科へ行くと、過活動膀胱症状というシニアに多い症状とか。
ここでまた、症状を軽くする飲み薬を調合される。

持病(?)の高血圧と高脂血症。
薬服用の治療となったのは何年前からだろう。
とりあえず安定しているけれど、一生飲み続けるのだろうか。

三つ巴の身体の疾患から病院通いが多くなり、薬の飲む種類、量も増えてきた。
今までは、自分の教養、娯楽のためのお小遣いが
これからは、自分の身体の老いのための大きな費用と変わっていく。



一方で、今年こんな本を読みました。

「医者に殺されない47の心得 」(近藤誠著)
今年のベストセラー№1、医療と薬を遠ざけて、元気に長生きする方法を。

「腰痛をこころで治す」(谷川浩隆著)
自分で判断し自分の筋肉を使って自分で身体を動かす、心と運動療法のすすめ。

共に、一方的に医者の診断を信じるのではなく、
自分の力で症状を軽減させていく努力をする事を推奨している本です。
なるほど、かならずしも医者だけが救世主ではなく、
薬だけに魔法の力があるわけではない。

・・・というわけで、来年からは病院通い、薬に頼る治療を
減らして行くことを目標にしたいと思っています。

穏やかに老いていく事を願って、今年最後のブログとしました。
今年もkittsan流ブログにお付き合い下さり、ありがとうございました。
また、来年も宜しくお願いします。
  

Posted by kittsan at 11:53Comments(1) 私事

2013年12月03日

私のカモフラージュ・エイジ法



ちょうど、六十代の真ん中になりました。
人生を思う気持が「希望」から、ますます「諦念」に比重が高くなって行く。
これが自然な歳の取り方だと、当たり前のように思っています。

夏目漱石は「則天去私」
森鴎外は「レジグナチオン(諦念)」と言って、
自己のおかれた立場を見つめて、 受け入れることで心の安定を得る。
そんな概念を、若い頃に小説で読んだような気がします。

でも実際は、腰痛に悩まされて、行きたくもない医者に行き、
物が見えにくくなって、掛けたくもないメガネを掛ける。
ほんと、身体は正直に年を取っていく。
「美」にお金を掛けるのではなく、「老い」にお金が必要になっていく。

そんなこんなで、見てくれも年相応に衰えていくわけですが、
私にとって、ココだけはチェックして、特に気を付けたいという場所があります。
それは誰もが先ずみる目の近くにある「眉毛」。

頭髪や髭と同様、眉にも白髪(しらが)が目立ってきました。
「白眉」だなんてほめ言葉があるので、カットするのも何なんですが、
ここが白髪になるとものすご〜く年寄り臭くなりますよね。
ですから、私は「眉毛のお手入れ」だけは、怠りのないようにしています。
妻の眉コームと先の反った眉用はさみを借りて入念に。

その他、カメラで撮られる時は、笑わずきりっと目を見開くとか、
茶系や淡い色、混ざった柄の服を着ないとか、太いパンツは履かないとか・・・。

アンチ・エイジならぬ、カモフラージュ・エイジ法。
皆さんはどんなところに気を付けているんでしょうか。  

Posted by kittsan at 08:01Comments(4) 私事

2013年10月02日

ちょっくら 寄ってみよう & ばんたび 行きたくなるね

団塊創業塾の理事OSさんが主催している「男の居場所」。
毎月両替町のOHさんのビルで、最終日に開催しています。
男の料理、ネットトラブル防止策、ワイン飲み比べなど、
楽しく、ためになる企画で、毎月とても人気があります。

この9月の30日は、OHビル1階に近日オープン予定の
NPO法人静岡団塊創業塾「シニアライフ支援センター」
の活用についての意見交換会でした。


色々な意見や希望が出された後、
最後に理事長さんがそのセンターの愛称を募集されました。
楽しく、若々しく、親しみやすく、しかも役に立つ。
そんなセンターに最適のニックネームとは????

「シニアーナ」「プラチナエイジ」「あおば(青場)」「ムチュー(夢中)」
・・・などなど、それらしきものから、
「いまやる」「これから」「まだまだ」
・・・など、アクティブシニアを象徴する名称まで。
思いつきながら、10人の参加者は堅くなったアタマを賢明に掘り起こしました。
幾つか出た後、傑作だったのは、
「ちょっくら」

いやいや、これには吹き出しましたね、皆さん大笑い。
ふざけているようだけれど、意外に的を得ているかも。
「ちょっくら、あそこへ行ってこようよ。」
「あの人に会いに、ちょっくら寄ってみるよ。」

「ちょっと」という方言の「ちょっくら」は静岡のシニアは知っているでしょう。
妻に話したら顔をしかめましたが、
わたしは「ちょっくら」は懐かしくて温かくて、とてもいいと思う。
愛称は後日、幾つかの候補を上げて理事会で決定するそうです。


ところで、我が町我が家のおとなりにある「番町市民活動センター」の
季刊情報誌の名称が「ばんたび」
・・・・「ばんたび来てくれてありがとう。」
これも静岡の方言で、番町の「番」とかけて、
何度も足を運びたくなるようなセンターを目指して名付けたそうです。

「ちょっくら」「ばんたび」・・・・
一度聞いたら忘れられない、シニアにはふさわしい愛称だと思うのです・・・・が。
  


Posted by kittsan at 09:52Comments(4) 私事

2013年08月26日

同じ下戸(げこ)でもこんなに違う/妻と私の場合

妻も私もアルコールは苦手、いわゆる「下戸」である。
夕食に350mlの缶ビールを母、妻、私と三人で分けて足りる。
いや、それでも飲んだ後は頭ズキズキ、心臓ドキドキ、
カラダの置き場がなくなって、
「あ〜あ飲まなければ良かった。」と愚痴ってしまう時が多い。

家の中ではそうなんだけれど、外で飲む場合は、
妻と私では、スタンスが大きく違ってくる。

その1
先日、妻のコーディネーター仲間より飲み会のお知らせがあった。
題して「おいしいビールを飲もう会」
妻は予定を調整して、早々に参加の返事を書いた。
「おいしいビールなんて、最初の一杯でしょう。
 あとは水みたいなもんだから、アルコールで深酒すると大変じゃない。」
「いいのよ。他の人たちのように飲めなくても、
 いっしょにいるのが楽しいんだから。」
妻は当日、いそいそ出掛けて行った。

その2
能楽研究会の納涼会の誘いがあった。
会員のひとりが酒屋さんで、静岡の最上級のお酒を飲み比べする会らしい。
もちろん、妻は先生に「行きます。」と1つ返事。
私は・・・「いくらウマイ酒の飲み比べっていっても、そんなに飲めるの?」
「○○○○円の会費で、気持悪くなるのが関の山だから・・・。」
先生のよいしょを私は振り切って、妻ひとりの参加となりました。

もちろん・・・・その1,その2とも、
妻は帰ったとたん、気持ちよい(?)眠りに包まれておるようでしたが・・・。




まわりの事情をみごとに察し、飲めないことも忘れて、ウキウキ出掛ける妻。
結果を先案じして、折角のチャンスを逃してしまう私。
自分の顔と社会の顔をともに輝かせ、ビジネスに仲間作りに飛び回る妻。
仏頂面といらぬコダワリが、人前でついつい出てしまう私。

ビールコップ一杯しか飲めない同じ下戸でも、
実際のありようは、妻と私とこんなに違っているのです。

今日も夕飯前のコップ一杯のビールのおげで、風呂も忘れて居所寝。
お陰で、空が白む頃、下弦の月を眺める幸せに預かることとなりましたが・・・。



  

Posted by kittsan at 08:50Comments(3) 私事

2013年07月09日

世の中に寝るより楽はなかりけり・・・・

「お父さん、これって杉山家の家訓なんだっけ?」
娘がフッと言ったことがある。

世の中に寝るより楽はなかりけり

    浮世の馬鹿が起きて働く

(江戸狂歌だそうです。)

そゥ言えば、若い頃からこんなコトばかり言っていた。
好景気で、黙っていても次から次へ仕事がやって来た時代。

やがて国の経済の拡大が止まり、我が社の経済も縮小の一途。
最近は、私もそんな戯れ言は、口から出なくなった。

久しぶりに、この春から請け負ったビッグな仕事があった。
マンションの一角に、茶室と能舞台を設計。
そこに納める家具を依頼された。


5月から初めて2か月を越える仕事の量と質。
均一に網代を編む部分。
四枚の折戸の開閉の具合。
側から引き出す補助テーブルの仕込み。
等々、難題をクリアして、ようやくこの日曜日東京へ納品を済ませた。
日本文化の粋(すい)とも言える、しつらいの一角に携わる機会を頂いた。
そのことに感謝したいほど素晴らしい空間だった。

さらに納品の後は、銀座の仏壇屋さんにご挨拶。
こちらでは、めったに知ることがない最高の仏教美術を拝見させて頂いた。

その日、頭と体と心を目一杯使い果たして、
車の運転も覚束ないまま、夜半に静岡に戻った後。
妻も私も、ふとんを敷く間もなく、バタンキュウと横になってしまった。

「よのなかに・・・・」
久しぶりに私の口から、そのつぶやきが出てきたようだった。


P. S.
ずいぶん自堕落な狂歌のようですが、
「欲望を満たすのためにあくせく働くよりは、身の丈に合った生活を送り、
 ゆっくり考えるためのエネルギーを蓄えるほうが、より人間らしくていい。」
と解釈するのが、今風でしょうね。
  

Posted by kittsan at 10:03Comments(2) 私事

2013年05月10日

<継続は力なり> を導くことば。

先日、娘がこんなことを言った。
「<継続は力なり> と言うけれど、
 本当はその前に、ひと言あるんだって。」

念願は人格を決定す。継続は力なり。


青年よ強くなれ
牛のごとく、象のごとく、強くなれ
真に強いとは、一道を生きぬくことである
性格の弱さ悲しむなかれ
性格の強さ必ずしも誇るに足らず

念願は人格を決定す 継続は力なり

真の強さは正しい念願を貫くにある
怒って腕力をふるうがごときは弱者の至れるものである
悪友の誘惑によって堕落するがごときは弱者の標本である
青年よ強くなれ 大きくなれ

住岡夜晃著『讃嘆の詩(樹心社)』より


大正から昭和初期に広島で活動した住岡夜晃という宗教家の詩だそうです。


家業の家具屋を継いで、はや40年。
kittsan流ブログを書き続けて、もう5年。

だらだらと、こつこつと。

それでも、自分に納得できる家具作りをしたいと思いながら。
それでも、人様に読んで頂ける記事を書きたいと願いながら。  


Posted by kittsan at 08:01Comments(0) 私事

2012年09月14日

素適な老人になるために。

まもなく「敬老の日」がやって来ます。
私も還暦を過ぎ、歳を取って、すべてがどうでもよくなり、
見てくれもしまりがなくなり、頭の構造も硬直気味になっていくことを感じます。

そんな姿をまわりの人から哀れに思われないために。
わたしが身に付けていたい、三つの柔らかな衣服とは?

・教養
・節度
・ユーモア

「教養」というと、
なんか偉そうに聞こえるけれど、何のことはない。
昔からある「よき物」「よき事」を体験し後世に伝えていく、ことなんじゃないかな。
知らなかったことに興味を持ち、気付かなかったことに驚く。
そんな柔軟な脳のセンスを持ち続けられるよう努力しよう。

「節度」は、
どんどんガンコで自己中に陥りがちの老齢人間にとってのたしなみ。
経験豊富な人生体験を、知ったかぶりをせずかるく受け流す。
主観と客観の両方の目を持ち、判断する力量が求められますね。

「ユーモア」とは、
その人のこころのゆとりと美学が生み出すものでしょう。
それが、人に対する気くばりと絡まって感染していく。
かたい話・かなしい話・かげきな話を、ユーモアでブレンド出来たら。

「教養」「節度」「ユーモア」
それらは、自分自身に対する「気付き」と、他人に対する「気遣い」。
これらが備わっていれば、素適な老人になれると思うのだけれど・・・。



まるで、夏目漱石のように。
まるで、中島義道氏のように。  


Posted by kittsan at 08:30Comments(4) 私事

2012年06月26日

男が惚れる男の姿→湖西市市長・三上元氏

先週の土曜日、青葉公演にて原発投票フェスタがありました。
facebookで予告があり、近くなので行ってきました。

その理由は、原発投票に賛同しているからではありません。
当日のゲスト、湖西市長・三上元氏の声を聞き、姿を見に行きたかったから。



男が惚れる男の文章→中島義道氏。
男が惚れる男の歌声→中西保志氏。
そして、私が最近画然とするくらいカッコイイと思える男は・・・。

湖西市市長・三上元氏。
言わずと知れた、脱原発首長会議の発起人。
73人の脱原発賛同首長のリーダー的存在。

どこがいいって?
 まず、声がデカイ。(声の大きさは若さに比例しますから。)
 60半ばなのに、肌の色つやがいい。(特に頭の艶はおみごと。)
 立ち居振る舞いがピシッとしている。(いいと思った事はすぐ実行だそうな。)
 ぶれない。(けれどもナイーブで気遣いがある。↓下の逸話。)

もちろん、その人と恋をしたい訳じゃありませんよ。(笑)
何ていうか、その人のもっている属性が、惚れ惚れするくらいいいんですよ。
もっとも、その人に会って、
「あなたの文章は、声は、姿は、何と素晴らしいモノをもっていらっしゃることか。」
と言ったところで、当たり前と思うか、キョトンとするかでしょうけれど。

実はその三上市長に声を掛けられました。
壇上で演説している三上氏を、写メールしようと、携帯をいじっていると、

「おとうさん、手帳が落ちましたよ。
 わたしのところからは、なんでもよく見える。
 居眠りしているかどうかも解るんだから。」

恥ずかしいやら、うれしいやら。
握手ぐらいしてくればよかった。

「虫愛ずる姫君」がいるくらい、人の好みは十人十色。
好き嫌いに理由付けなんて野暮なことだし、尾ひれを付けるのもカッコ悪い。

私の場合は、その人たちがいるおかげで、人生の幸せ度が増してくる。
ただ、それだけの事だけれど、感謝、感謝、感謝。  


Posted by kittsan at 08:45Comments(0) 私事

2012年05月14日

還暦過ぎての手習いは何を?

先日、我が家のポストの中に一枚のチラシが入っていた。
「葵能楽塾開講・謡や仕舞のお稽古、始めませんか?」
お隣、番町市民活動センターにて、5月中旬に開催とのこと。



妻の影響もあって、結婚後は日本文化の薫り高い邦楽に興味を持つようになった。
「能」「歌舞伎」「人形浄瑠璃」「三味線」「琵琶」等々。
その中でも「能」を鑑賞することが一番長かった。
毎年最低1回は最高の能楽師が演ずる能を、上京して能舞台で鑑賞してきた。
魂の入った能の舞台は、何ものにも代え難い充実感と幸福感をもたらしてくれた。

そんな風に、はなから能は見る物と思っていたので、
まさか身近なところで、謡や仕舞をお稽古できる場があるとは思っていなかった。
たぶん、大勢の参加者があるから、取りあえず覗いてみよう。
・・・と言うことで、昨日(5/13)行ってきました。

遅れていくと、会場の会議室にはナント男性の講師と10人弱の女性参加者がいるだけ。
ちょっと拍子抜けして話を聞いていると、
案内のチラシは1000枚摺って、近所と静大付近にポスティングしたそうだ。
それでこの人数? それでも先生はこんなに集まってくれるとは思っていなかったそうだ。



簡単な自己紹介と能の説明の後、まずは謡ってみようということで、
「鶴亀」の謡曲本を渡された。
「それ青陽の春になれば・・・」
先生の節に合わせて、反復していく。
能はどちらかというと一本拍子で、少しだけ長短高低の抑揚がつく単調な調べ。
だから素人には取っつきやすい。

ともかく、先生の指導で「鶴亀」の最後まで謡い切った。
流れるような文語体の文脈を追って、声を出すことは実に気持ちがいい。
この調子で、初級の5曲くらいを謡いなれるとすっかり能のとりこになるそうだ。

私は還暦後の手習いとしてもう一つ習ってみたい邦楽があった。
愛好者わずか3000人ほどといわれる、「琵琶」の世界。
その諸行無常の調べは。若い頃から私の心を捕らえて離さなかった。
幸い、こちらも静岡に素晴らしい指導者がいる。
いつかは・・・と思いながらここまで来てしまった。

「能」と「琵琶」。さて、どちらが我が伴侶として慰めていただけるか。
引退のない自営の身として、時間のかねあいを含めて、ただいま思案中です。  


Posted by kittsan at 09:12Comments(0) 私事