2011年08月13日

被災地 福島から(2日目)

8月9日(火)立秋 2日目 

被災地 福島から(2日目)

原ノ町駅(南相馬市)に止まったままの電車。3月11日より動いていない。
朝7:30 南相馬市のホテルを出発。いよいよ、大津波が襲った海岸線へ。

被災地 福島から(2日目)

海に近付くにつれ、破壊された家々が目につく。

被災地 福島から(2日目)

そして、整理された瓦礫の山が連なる。

被災地 福島から(2日目)

しかし、そのうち、家の基礎しか残っていない場所がチラホラ。

被災地 福島から(2日目)

海の中にあった重いテトラポットが,ここまで流されて来る津波のすさまじさ。

被災地 福島から(2日目)

そして、生命力ある雑草と汚泥だけが延々と続き、
見渡す限りさっぱりと空っぽな場所にバスは着く。

被災地 福島から(2日目)

遠くを見ると、破壊された原ノ町火力発電所の施設が、影のように立っている。

被災地 福島から(2日目)

防波堤の向こうには、石炭を運び込んだまま座礁して横たわる船が、幽霊船のよう。

被災地 福島から(2日目)

家々も並び、海水浴場として賑わっていた遠浅の海岸は、大きくえぐられている。
まだ見つかっていない1000名の人たちが、この海岸の何処かに眠っている。

被災地 福島から(2日目)

国道6号線を越えた津波により、今も付近の田圃の中に船がそのままの姿で残っている。

被災地 福島から(2日目)

市の南側部分は、福島第一原子力発電所の半径20km圏内で、警戒区域に当たる。
国道6号線もここまで。鹿児島・宮崎県警が検問所を守っている。


南相馬市民の商店街経営者との交流。

家が津波に流されながら、地元で商店を5店舗経営し、再建を図る。
市の復興ビジョンを一人で作り上げ、議員を励まし国会へ陳情を重ねる。
その、声の大きさ、希望の高さ、強い復興への意志に、胸がうたれる。

被災地 福島から(2日目)

街は多くのビッグチェーン店が閉店。従業員が避難して集まらないから。

昼食時、案内してくれた若い議員さんは、ポロッと本音のようなことを言った。
「なんだかんだあっても、早く古い原発を廃炉にして、
 新しいシステムの原発を動かしていたら・・・。こんなことは起きなかった。」
現地の人でなければ言えない重い言葉で、感動しました。

戻ってきた住民と、外に避難している人たちの間の深い溝。
ここに留まりたい高齢者と、見切りを付けたい子供のある世代間での家族の分断。
今一番この状況をクールに判断できるのは、30代の独身男性だそうだ。
実際、今回のスタッフもそうだった。

被災地 福島から(2日目)

再び、放射能濃度の高い山間部を通り、福島市方面へ向かう。
東北自動車道を南下し、原発の南側、いわき市で二日目の宿泊をする。


同じカテゴリー(旅の事)の記事画像
仏壇と盆栽と文楽と/2015年5月21日東京
ウィーンリング通りキャンペーンに当選!
凄い木工家・土岐千尋氏と出会った。(松本→東京ひとり旅)
娘の下宿は10年ひと昔。(静岡→松本ひとり旅)
京都東寺のイケメン仏像
「ひこにゃん」知らずに彦根城へ行く
同じカテゴリー(旅の事)の記事
 仏壇と盆栽と文楽と/2015年5月21日東京 (2015-05-26 08:40)
 ウィーンリング通りキャンペーンに当選! (2015-03-02 10:16)
 凄い木工家・土岐千尋氏と出会った。(松本→東京ひとり旅) (2014-09-11 09:28)
 娘の下宿は10年ひと昔。(静岡→松本ひとり旅) (2014-09-09 08:45)
 京都東寺のイケメン仏像 (2014-05-14 08:50)
 「ひこにゃん」知らずに彦根城へ行く (2013-12-12 09:51)

Posted by kittsan at 10:07│Comments(0)旅の事
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
被災地 福島から(2日目)
    コメント(0)